スタートは観察
第25回 ユーザは使いよう
ユーザの意見をもとに新しいデザインを考えることはできません。何かを設計する人は、将来のユーザが満足するであろう新しいインタフェースやデザインを発明する能力が必要なのです。 ユーザに設計させないこととユーザ中心設計を行なうことは矛盾しません。ユーザについてよく考慮しながら専門家が設計を行ない、それに対してユーザ が意見を言ったり評価実験を行なったりして、それにもとづいて専門家が設計を修正するというような共同作業が本当のユーザ中心設計です。
いやいやまったくもって。
アフォーダンスという概念がデザインの中に組み込まれるようになってから、マネジメントデザインとかあちこちでデザインという言葉を目にするようになった(別の言葉を用意した方がスッキリすると思うんだけど。"よいデザイン"は正しい行動を規定するものだけど、主流にはなりえない考えのように思うので)のだけど、あたらしいデザインとは観察から生まれるのでしょう。
けど、観察をする努力って過小評価されていると思う。なぜなら形にならないから。フィールドワークをしながら思いを馳せている時間は、イラレファイルが上がるわけでもなし、遊んでいるようにしか見えない。本当に大切なことなんだけどね。
だから結局海外には勝てない、という風潮になってるんじゃないかな。
企業はもっとデザイナーを遊ばせるべき。外に出歩かせる、という意味だけでなく、ネットサーフィンしまくる、とかね。外界からの刺激を必要としない優秀なひきこもりデザイナーより、下手だけど観察しているデザイナーの方が最終的にはいいプロダクトができる気がする。
よいデザインって相談して生まれるものではなく、強烈な思想やアイディアがベースに必要なのだけど、同時にデザイナーのエゴのみで完成させるものではないから。
学校にいて思うのだけど、社会学ってもっと評価されていい気がする。観察、フィールドワーク、定性分析からのアウトプット。現在のものづくりにおいて、良いプロダクトを生むために一番必要とされることを学べる学問だと思うんだけどな。
追記
ユーザー中心設計がすみずみまで行きわたった時に、似たような振る舞いを必要とする道具のデザインの相似が起こるのではないかと思えてきた。いや、今スグに例が出てこないのだけど、テレビのリモコンのようなホームPCの入力装置とか。
単体で見た時に使いやすいけど、たくさんのデバイスに囲まれた状況において使いやすい、とは「あえて他と違う」ことなのかもしれない。